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新しい輪島塗の挑戦 - 今の時代の人々に、使いやすさとほっとする瞬間を-Part1


石川県輪島市は、日本の西側に広がる日本海に突き出た長い能登半島のほぼ先端に位置する。日本で降雨量が上位の石川県。輪島にも雨は多く、ざあざあ降りの激しい雨から、しとしと降る柔らかい雨まで様々な種類の雨が降り、冬には雪も降る。訪れた当日も終日やさしい雨が降っており、周辺の緑を穏やかに潤していた。

この水分の多さが、この地域で「輪島塗」という漆塗りの伝統工芸を発達させた理由の一つである。「水分」と「乾燥」は逆だと考えがちだが、漆は、水分を与えて固まらせるという地球上唯一の塗料。「漆」という木から採取される樹液だ。この漆を辛抱強く、何度も何度も職人技で丁寧に木材に塗り重ね、ようやく出来上がる。水にも強く、酸やアルカリにも侵されない。保湿された漆の膜は艶を保ち、手触り、口触りも優しい工芸品なのである。

一般的には、輪島塗のお皿やお椀というと、高級食器のイメージが強いだろう。絹の布や薄紙にそっと巻いて、納戸や押し入れの奥にしまい込み、年に一度か二度だけ、特別な機会に取り出す。最新の注意を払いながらそっと丁寧に使用する。食器なのだけど、果たして味噌汁などよそっていいのか、つまり、食事に使っていいのか? という本末転倒な疑問まで持ってしまう。気軽に使うことが憚られる特別な食器だと思っている人は多いに違いない。

「輪島塗はね、水でじゃぶじゃぶ洗う方がいいんです。そうすることで漆の膜が水分を保ち、さらに輝きを増します」というのは、輪島市で江戸時代から200年以上、木と漆の仕事に従事してきた工房「輪島キリモト」の七代目代表である桐本泰一さん。「輪島塗は使った後、洗うのも気を遣うし、管理するのも大変ですよね?」と聞いた答えがこれだった。漆は使い込むことでますますよい使い心地を増していく、日常で使う食器なのだという。その言葉の通り、桐本さんの自宅では、明治44年(1911年)に作られた椀が、普段の生活で使われているという。

 

通常、無地の輪島塗というと、表面は皮をむいたゆで卵のようにピカピカでつるつるだ。どんな微細なホコリも滑り落ちそうな艶やかな無傷の表面は、下地を何度も塗り重ね、中塗り、上塗りされた結果である。伝統的に赤系と黒が主流だが、豪華な金箔を貼り付けた汁椀や鉢、皿、お盆やお箸まで、ありとあらゆる食器がある。輪島の名所、朝市に行くと、多くのお店にこれら輪島塗の商品がところせましと並んでいる。ただデザインは、少し時代を感じさせるレトロなものが多く、「由緒正しき伝統」というイメージが強い。

しかし、この武家屋敷的なイメージを凌駕する、スタイリッシュな輪島塗を生み出す試みがなされている。それが輪島キリモトだ。輪島塗業界の朴(ほお)木地業という、漆を塗る前の素地を作ることを生業とする実家に生まれ、30年以上輪島塗と向き合ってきた桐本さんによると、水に強く、艶やかな上塗りが施されている伝統的な輪島塗には、主に箸や木製スプーンなどしか使えない。「スプーンやフォークなどの金属で擦ると傷がつきます。それは劣化につながります。ですから今時のライフスタイルにあった、擦っても大丈夫な輪島の漆器を作りたかったのです」と言う。従来の漆塗りの食器は、金属のカトラリーとは相性が悪いのだ。

今の日本、あるいは日本から一歩外に出ると、お箸以外のカトラリーを使う食文化は広大だ。輪島塗をもっと多くの人に今の日常生活の中で気軽に使ってもらうためには、表面とカトラリーの「摩擦」を克服する必要があった。桐本さんは試行錯誤を重ね、下地の「蒔地(まきじ)」技法を応用した新たな漆塗技法を開発した。表面が少しざらざらしている。これは、珪藻土(けいそうど)と呼ばれる輪島塗で下地に使われてきた特有の土を表面にも、漆と一緒に塗り固めているためだ。輪島の珪藻土は、約1240万年前、大量に発生した海のプランクトンが堆積したもの。純度が高い珪藻土がこの地域で多く産出したのも輪島塗が発達したもう一つの大きな理由だ。輪島キリモト独自の「makiji(蒔地)」技法では、良質の珪藻土と漆とだけを掛け合わせ、その硬度を高める新たな塗り方なので、強い下地になる。スプーンやフォークをカチカチ当てても傷はつきにくく、中性洗剤を用いスポンジで洗っても大丈夫。

 

従来の輪島塗には豪華な和懐石料理のイメージがぴったりだろう。しかし、この新しい輪島キリモトの「makiji(蒔地)」技法では、もっと気軽に洋食を楽しむことができる。そもそもの素地は木なので、輪島塗の食器は手に持っても軽い。何百年も日本人の手肌になじんできた漆塗りのぬくもりもある。こういう食器で食べるパスタやカレーライスは、空腹を満たすための食事を超えた、豊かなライフスタイルとなる。色はあえて艶消しの黒や落ち着いた朱系色にこだわり、「食べ物が食器の上で主役になるような工夫を心がけている」と桐本さんはいう。

傷がつくことを恐れずに、日常的に気軽に使える輪島塗。この発想はどこから来たのか? 桐本さんはバブル時代の入口に学生時代を過ごし、大学ではプロダクトデザインを専攻した。その時の教授の投げかけが、輪島塗生産の哲学に大きな影響を与えた。「君たちが学ぶデザインとは、今を生きる人々に、今よりも便利で気持ちがよりほっとする瞬間をもたらすことを考える学問であり、きれいな色や形、またはかっこいいね、というのは狭義の意味なんだ」という言葉だった。

であれば、このデザインという考え方と伝統工芸、強いては漆器を掛け合わせることで、輪島塗を見直せるのではないか、と桐本さんは思い至った。当時バブル経済の中で、輪島塗はブームを迎え始めていた。しかし、そこで売れていた商品に桐本さんは疑問を持ったという。ただ売れているからそれでいいと言えるのか? 自問自答の日々は続いた。

経済の熱が輪島塗の需要や価格を引き上げていく現象の重圧を感じながらも、「ものづくりとはどうあるべきか、世の中で役立つために漆の何を作るべきか、何を生み出すべきかを考えるようになりました」と桐本さんは言う。これが、当時の輪島塗の高級路線とは別に、漆の本当の心地よさや木材の安心感を現代の人々に分かりやすく伝えたいという桐本さんの原体験となった。

もしかしたら、輪島塗の食器を家庭で普通に使うなどという生活は、少し贅沢に思えるかもしれない。しかし、最近の輪島キリモトの顧客は、決して富裕層や高齢者だけはないらしいのだ。同社は15年前から東京の日本橋三越にも出店している。ここでの購入顧客の65%が、30代から50代までの人々だというデータを持っている。中でも30代の顧客は多く、この層の意識の変化は大きいようだ。

2011年3月11日の東日本大震災以降、日本の若い人々の意識は大きく変わったと桐本さんは言う。「暮らしの質に目を向けるようになった若いお客様が増えたと思います。今を大切に思い、生活を大切にしたい、せっかく買うなら地球にやさしい、天然素材の食器を買いたいという若いお客様が増えていることを実感します」と桐本さんは言う。「生活の中で、心の支えを果たすのが漆の器だと思っています。」

 

売上高が低迷している日本の百貨店で、多くの若い人々が購入していると聞くと、楽観的に聞こえるかもかもしれない。けれども、輪島塗の実態は決して甘くはない。バブル経済が崩壊した数年後の2004-05年あたりから、輪島塗の生産高は激減している。

チャート*を見てほしい。1960年代までは輪島塗の年間生産額は10億円以下で安定的に推移していた。ところが、1970年代から急激に需要が伸び、その後、1990年代前半まで全盛期*を享受した。バブル経済時代には、数百万円もする輪島塗の家具などがよく売れたという。この頃に「普段使いには向かない高級な器」という認識が定着してしまった。     (出典、上下とも:輪島市:平成29年刊行 輪島市統計書)

わずか30年あまりで、輪島塗の売上高は大きく減少。ピークの1991年に約180億円だった国内生産高は、2016年には42億円にまで下落。輪島塗産業に従事する人の数も、1991年には2,900人近くいたが、2016年には1,400人以下と半数を切っている*。輪島塗の売上高は急激に上昇し、急激に落ち込んだ。

今日の日本では、安価な輸入品や使い捨てプラスティックの食器が広く使われるようになり、高価な伝統的陶器や漆器は一般家庭ではあまり使われない傾向を否めない。また、漆器は扱い方がわからないという基本的な理解不足も根強い。輪島塗に限らず、見とれるほどに美しく、手にして見事な工芸品の人気や認知は著しく低く、継承者も不足している。このままでは前途が危ういのが輪島塗の実態で、輪島キリモト日本橋三越店の事例は、実はめずらしい現象なのだ。

縄文時代から続くと言われる日本の伝統工芸、輪島塗がもっと理解されてもよいと信じるからこそ、桐本さんは、「多くの方々に日常の食器として気兼ねなく使ってほしい。ただし、輪島塗の伝統を絶やすことなく、むしろ新しい要素を加えてこの文化を盛り上げたい」と日々全国を飛び回り、熱のこもったコミュニケーションを重ねている。

伝統の延長線上にありながら、全く新しいスタイルを生み出す試みが、人口わずか25,000人の小さな輪島市で行われ、輪島市から発信されている。

ソーシャルメディアの力もあり、最近では世界各地から新しい輪島塗への問い合わせが入るようになった。食器だけではなく、モダンなデザインの輪島塗の大型テーブルや家具などもオーダーメイドできるためだ。新しい漆器づくりは、日本の伝統工芸の危機を救えるのか? 輪島から日本、そして世界へ、輪島キリモトの挑戦は始まったばかりだ。

*輪島市:平成29年刊行 輪島市統計書。

Thank you for reading, from Diane.

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