チーズの香りがする味噌は妥協をゆるさぬ木曽職人の贈り物-Part2
(1からつづく)
木曽の自然環境
米糀も味噌も、人間の力だけで高い品質が実現できるわけではない。木曽という場所の自然条件、その中でも気候が味づくりに大きく影響する。小池糀店の味噌を2年間熟成させる味噌蔵は標高約800mという山の中に広がる駒ヶ岳ふもとの高原地帯。12月から2月にかけてはマイナス15度近くまで下がる。真夏でも平均22度くらいの冷涼な地域だ。夏と冬の差は激しいが、年間の気温を平均するとおよそ10度。東京の直近の年間平均気温が16度くらいなので、かなり涼しい。
また、この地は海に囲まれることなく、昔から塩は貴重な食材だった。米も低気温のためあまり作られず、贅沢品だった。だから、米糀のために米を使うという発想はそもそもはなかったという。
ここ数年の発酵人気の影響もあり、発酵をテーマにした地方再生が日本各地で試みられている。それぞれ特徴がある中で、通常発酵に欠かせないのが糀と塩。しかし、木曽の発酵は「糀ありき、塩ありき」ではなかったところからスタートした点がユニークだ。今でこそ発酵調味料に米糀をふんだんに使うようになったが、昔は味噌づくりでさえも大豆だけで行われていたという。
木曽の特産物でもある漬物の「すんき」も塩を使わない。すんきは赤カブの漬物で、植物性の乳酸菌でしっかり発酵させた酸味の効いた珍しい漬物だ。無塩なので、塩分を気にせず味噌汁の具材にも使われる。塩や米がないならないで、工夫して、保存性の効く発酵食品を作ってしまおうという先人の知恵が、長い歴史を通して木曽の人々に伝えられてきた。
塩や米はなくても、他に欠かすことのできない要素があった。それは気温だ。「木曽の寒さが重要です。山あいの低温のおかげで安定した発酵分解が可能になります」と唐沢尚之さんはいう。「ですから、ここの発酵文化は大規模というわけではないのですが、木曽の独自性が発揮されています」と。
この独自の発酵文化を広く伝えようと、木曽町が中心となり、東京農業大学や小池糀店も協力して、「はっこうのがっこう」というイベントが2015年から開催されている。今年9月には第10回が行われた。地元の発酵のみならず、世界の発酵文化をアカデミックに学び、楽しく語り、美味しい発酵料理を味わえる総合的な内容となっており、今では県外からも発酵ファンが集まるイベントに成長した。
味噌蔵の風景と木曽の味噌玉製法
木曽の特徴を生かした小池糀店の味噌づくりでは、大豆はもちろん重要だ。通常、味噌を作る際、大豆を煮て塩と糀を混ぜ、味噌玉を作り桶の中で発酵させるケースが多い。小池糀店では大豆は煮ずに蒸す。最初の段階で塩は使わない。大豆を蒸すのは、豆のうま味を逃がさないためだ。通常味噌づくりで最初に塩を入れるのは、雑菌予防のため。雑菌が近づいてくると加熱された大豆は腐敗してしまう。しかし、ここではまず蒸した大豆だけをつぶして固め、味噌玉という、直径と高さが10㎝くらいの円柱ブロックを作る。その味噌玉を1~2週間、棚に置いて自然発酵分解させる。通常ならこの段階で味噌に都合の悪い雑菌が寄ってきそうなものだ。しかし、この味噌玉は、塩分があると働かない菌を引き寄せ、ゆっくりとうま味を増しながら発酵していくという。
「なぜか雑菌がここには来ません、蒸した大豆だけで発酵していくんです」と尚之さん自身も不思議がる。「ここに住んでいる常在菌のせいなのか、清涼な空気のせいなのか、こんなふうに扉のない棚に、空気にさらして置いておいても味噌の発酵を邪魔する菌は来ません。」
正しい温度帯であれば、2週間後には味噌玉の周りを白いふわふわの糸状のカビが覆う。これを「花」と呼ぶ。花の正体は毛カビという菌だ。温度が高すぎても、低すぎても味噌玉の周りに花は咲かない。けれども人工的に温度調節すると、弱い発酵になるので、あくまで自然に発酵するのを待つ。
写真のように毛カビに覆われたら、味噌玉は完了。周りの花を洗い流し、いよいよ糀と塩を混ぜ込む。暑さと寒さが繰り返す中、混ぜ合わされた味噌の原材料は、桶で2年間じっくり熟成させる。このユニークなプロセスが、味噌にフレッシュチーズのようなほんのり甘い香りを生じさせるらしい。発酵の過程で、高い温度では様々な菌が活発化し、冷えるとじっくり熟成する。こうして、独特のまろやかさやコクを増していく。
高原の味噌蔵探訪
小池糀店の味噌は、高原にある倉庫に並ぶ桶を詰め尽くし、重しの石を載せられ、木の蓋をかぶせられて、静かに眠っていた。冷涼な地といえども夏は発酵にとっては気温が高く、糀の仕込みはしない。夏は春に仕込んだ味噌の素材が自分たちの力で発酵を進めていく時期だ。糀を甘やかさないのと同様、味噌の熟成にも自主性を要求する。
たくさん並ぶ桶の一つの蓋を尚之さんが開けてくれた。顔を近づけると、アルコールとチーズの匂いがふわりと漂ってくる。しばらく嗅いでいると、アルコール臭は消えて、段々フレッシュチーズの匂いが勝ってきた。酵母が発酵し、味噌になっていっている証だ。味噌も桶の中で懸命に働いているのだ。
実は、欧州のウォッシュタイプのチーズに、豆腐の味噌漬けやラッキョウのような漬物の匂いがするものがある。そういうチーズは日本酒にも合うと言う!
チーズももちろん発酵食品。チーズの側からすると味噌のような匂いがし、味噌の側からするとチーズのような匂いがするということになる。発酵というプロセスを通して、西洋のチーズと日本の味噌が交差する。科学的なメカニズムは解明されていないまでも、この香りの現象が、香料などを一切加えない天然の発酵、つまりミクロの微生物活動によってもたらされていることは興味深い。
小さな味噌工房の強み
小池糀店は、この20年間で地元に溶け込み、知名度も上がり、生産量が増え、販売領域も広がった。それは、味噌づくりはもちろん、販売のためにも奔走し、売れる可能性のある機会は逃さず顔を出したという地道な努力の賜物でもある。「痛い思いもしましたよ、けれどもそのおかげでいい勉強もさせてもらいました。今ではようやく『誰でもいいから、いくらでもいいから、とにかく買ってください』というスタンスはとらずにすむようになりました」と尚之さんは言う。「むしろ理解してくれて、喜んでくれるお客様に商品をお届けすることができるようになったことをありがたいな、と思っています」と。
このような付加価値の高い味噌が認められる一方で、現代の日本全体を見回すと、実はペースト状の味噌の消費量は年々減って*1いる。一世帯当たりの年間味噌購入量を見てみよう。1982年には12kgだったのが、2016年には約5.8kgと半分以下に減っている。それに伴い、特に小さな味噌醸造会社数が減っているのだ。
例えば、長野県の小規模経営による味噌製造業者数は、1963年には245社あったのに対し、2010年には143社*2にまで、4割近くも姿を消している。小さな味噌屋さんでは、製造から、宣伝、販売まで手掛けねばならない。人手や資金も必要となる。淘汰される小さな工房が多い中、経営を続けていくことは決して容易ではない。しかし、だからこそ、本物の食材づくりを続ける、地方の個性豊かな小さな工房が輝く。実際、尚之さんは「小さい会社だからこそ自由に動けたし、ユニークさを前面に出すことができました」という。
レトルトやパウダー状の便利な即席味噌汁が市場では激増中*3とはいえ、やはり本物の天然醸造の味噌の美味しさは格別だ。妥協を認めない職人兄弟が「美味しい味噌を作るのだ!」と強く願って世に送り出すこの味噌の味や香りを存分に味わえば、日本人の昔の記憶が呼び起こされるのではないか、と期待する。
しかも、味噌汁づくりは実に簡単。削り節をひとつまみマグカップに入れて、味噌を小さじ半分。そこに熱いお湯を注げば、朝のコーヒー替わりになる。具材は入れなくても立派な味噌汁なのだ。味噌や味噌汁自体の認知度は100%としても、それらのもたらすよい効果や美味しさの特徴については知られていない要素が多くある。味噌の可能性はまだまだ広がっているのだ。
「とにかくいいものを作りたい、いい味を出したいんです。いい材料だけを使って味は二の次という姿勢ではなく、作り手としてのプライドを持ち続けて加工しています」と尚之さん。「そういう私たちを理解してくれる顧客の方々と交流したり、当社が作った味噌を美味しいといってくれる人々と出会い、こだわりを伝えていくことが、今は何よりの喜びです。」
糀マイスター推奨🌸
小池糀店の商品はこちらから購入できます>>http://www.koji-miso.com/
(糀かねのねショップではお取り扱いしていません。🙇)
写真提供:小池糀店
Text by Diane
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*1:なるほど統計学園:http://www.stat.go.jp/naruhodo/c3d0130.html
*2:「近現代における小規模経営による味噌・醤油醸造業の地域的展開」(地理化学Vol.66-No.2、吉田国光、杉野弘明著)/
https://www.jstage.jst.go.jp/article/chirikagaku/66/2/66_KJ00007296143/_pdf
*3:日本食糧新聞、2016年3月28日/
https://news.nissyoku.co.jp/news/special/detail/?id=WAKUI20160315073345909