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広島の飛び切り美味しいビールはピカピカに輝くグラスから


1.ビールと日本人

広島市で酒屋を営む重富寛(しげとみゆたか)さんの店の倉庫の一画には、「ビールスタンド重富」というスペースがある。6年前に作られた、10人も入れば満杯の小さな部屋だ。重富さんの淹れたビールが抜群に美味しいということで、常に長蛇の列ができる。週末には顧客の半分が県外からの観光客だ。

真っ白なジャケットに黒い蝶ネクタイ姿の重富さんは、まさにビール注ぎ職人。グラスを片手に持つと、ビアサーバーからビールを注ぎ、泡の上部を木のヘラで巧みに削り落とす。実際に飲んでみるとたまらなく美味しく、ビールが苦手な人でも、ぐいぐいと飲めてしまう。そのくらい普段飲んでいる生ビールとは違うのだ。

「ビールは人と人とのコミュニケーションを円滑にする飲み物です。現代の課題の多くはコミュニケーション不足によるところが多いと思うのです」と重富さんは言う。「旨いビールを注ぐことで解決できることが多くあるのではないかと信じ、ビールを注いでいます。」

確かに、日本社会において、上司と部下の関係、家族や親子の関係、友達や同僚との関係において、ビールは重要な役割を果たしてきた。日本は無類のビール好きだ。消費量はここ数年、世界7位*1。ところが、人間関係の「潤滑油」的な役割を果たしてきた、ビールの国内消費量が、近年着実に減っている。下のチャートを見てほしい*2。

(出典上:国税庁「酒のしおり」、下:「Robobank Roboresearch Food & Agribusiness: Trends and development in beer and beer consumption」P13)

日本のビール消費量は、1994年の696万リットルをピークに、年々に減っている。統計値として直近の2016年の消費量は275万リットルと、ピーク時の半分を下回っている。高齢化とか若者のビール離れ、発泡酒やノンアルコールビールの登場、ワインや焼酎など酒類の多様化など、様々な理由があげられる。しかし、実のところ何が決定的な理由かはわからない。一方、世界全体で見てみると、ビール消費量はわずかずつではあるものの、2000年以来増えている。日本と世界のビール消費はここ10年くらいで逆行する形をとっていることがわかる。

ビールは好きだが消費量は落ちている日本。そんな国の地方都市でグラスに注いだビールだけで勝負し、確実に集客を増やしているのがビールスタンド重富だ。なぜ広島のこの小さなビールスタンドに全国から人々が集まってくるのか?

2.酒屋という小規模店舗の衰退

少し歴史を振り返ってみよう。1970年代までは、いつもの酒屋さんがそれぞれの家庭に定期的に御用聞きに訪れていたことを憶えている。でも今はない。いつごろからなくなったのだろう? 2012年の研究論文に面白いデータがある。「商業統計の長期時系列データに見る 業種別商店数の増減とその要因」*3と題するこの論文には、戦後の酒屋数の推移が示されている。

酒販売の自由化を巡る話に同論文は触れている。戦後の1949年、民間企業による酒類販売が始まった。しかしこの時点では、酒類の小売販売は完全に自由化されたわけではなく、免許制が導入されていた。1953年になると酒税法が制定され、この法律にもとづく免許制度によって、酒販店への新規参入は厳しく規制されることになった。酒税の効率的な徴収と青少年への悪影響を避けるという理由で、1970-1980年代も免許制度は継続した。 その免許制度のもと、大都市部では人口1,500人につき1店舗、地方都市部では1,000人に1店舗、町村部では750人に1店舗と定められ、その比率に満たない場合に新規の酒屋の参入が認められた。だから、各酒屋は「陣地」の範囲内でそれぞれの家庭を回って注文を取っていたわけだ。2000年に入り激増したコンビニエンスストアでも一部を除いて酒は扱えなかった。しかし、大転換期が2003年に訪れる。酒類免許による規制がこの年に完全撤廃されたのだ。酒類販売の免許は、ほとんどのスーパーやコンビニエンスストアに付与されるようになった。

規制緩和によって、チェーンのディスカウント酒店やオンラインショップも急増し、酒は御用聞きによってもたらされるのではなく、欲しい時に自分で購入する飲み物に変わった。つまり、多くの伝統的な酒屋はそれまでの売り方では立ちゆかなくなったわけだ。下の統計を見てみると、酒類販売の免許数は年々増えているのに、酒屋の数は減っていることがわかる。店数は、2007年には47,696店舗と、1976年のピーク時106,436店舗の半分以下*4になっている。以来、酒の安売りの勢いはあまりに強く、価格競争は激しい。2007年の時点で従来の酒屋はかなり厳しい状況に直面していたことがうかがえる。

(出典左:「商業統計の長期時系列データに見る業種別商店数の増減とその要因」南亮一、法政大学イノベーションマネジメントセンター、2012年10 月、P18、下:同、P4)

これは何も酒屋だけに見られる現象ではない。呉服・服地小売業は1954年に、はきもの小売業は1952年に、時計・眼鏡小売業は1979年にそれぞれ店舗数のピークを迎えており、それぞれそれ以降多少の増減はあるものの、2007年の段階では、ほとんどの昔ながらの小売業で商店数が減っている*5ことが同論文では指摘されている。この時点では日本の人口は1億2,800万人を超えて*6おり、ほぼピークを示している。つまり、消費自体が減少したのではなく、消費や買い物のスタイルが変わったと見る方が自然だろう。着物が要るから呉服屋へ行くとか、時計が要るから時計屋で買うという消費行動は変容してしまっていたことをこの商店数の推移は示していると読める。

この頃までには、いつもの酒屋さんが各家庭にビールの注文を取りに来るという販売形態は消滅してしまっていた。そして、酒屋だけではなく、従来型の小さな個人商店の存亡の危機が2000年代後半により濃厚になる。最近では珍しくなくなった、地方に見られるいわゆる「シャッター通り」商店街現象もこの一端と考えられるだろう。

重富酒店も、規制緩和の影響を受けないわけにはいかなかった。1989年の売上高を100%とすると、自由化した2003年には50%までに減った。2012年には、重富酒店の売上高はピーク時の半分以下にまで落ち込んでいた、その年にビールスタンド重富がオープンした。この小さなスペ ースは、起死回生への「賭け」だったともいえる。

「酒を売ることでは、大手のスーパーには勝てないです。けれど、酒を伝えることなら誰にも負けないという自負があります!」と重富さんは言う。「酒屋としてビールをきちんと伝えるということ、注がれたビールで幸せな気分になる人を増やすということ、それが私の使命だと思っています。」酒屋の危機において重富さんが自覚した「自分らしさ」は、美味しいビールの飲み方を提供し、楽しいコミュニケーションをつくり出すことだったのだ。ビールスタンドが奏功し、重冨商店の売上高は盛り返した。過去3年連続で売上高は増加に転じている。コミュニケーションの課題を解決できると信じて美味しいビールを注ぎ続けてきた結果が出はじめたのだ。

「ビールで人を笑顔にしたい」と願う気持ちと優れたコミュニケーション力を強みに、重富さんは、ビールスタンドだけではなく、「広島生ビール大学」を主宰して飲食店と一緒に美味しいビールの注ぎ方を研究したり、全国各地で講演やビールの注ぎ方指導に奔走する。今年3月には、過疎化・高齢化で集客に悩む山口県の商工会議所から招待され、地元商店街の酒屋や飲食店に向けて、生ビールで街を発展させることについての講演や意見交換を行った。

 

3.本当に美味しいビールとは?

それにしても、人を惹きつけてやまない「幸せな気分になる本当に美味しいビール」とは何なのかが知りたい。重富さんにどこのビールを淹れているのかと尋ねると、「普通の飲食店用樽生のアサヒビールです」という。広島まで飲みに行く必要は実のところない。アサヒに限らず、大手が製造するビールは完璧に管理されているので、品質による大きな違いはないはずなのだ。ビールというモノ自体に大差はない。しかし、飲んだ瞬間に美味しいと感じるビールとそうでないビールがあるのはなぜだろう?

仮に、飲食店でビールを注文したとしよう。乾いたグラスにビールを注いだ際、気泡が内側についていたら、そのグラスはおおよそ汚れている証拠。せっかく美味しいビールが店舗に届いたとしても、テーブルに乗る時には、残念ながら美味しくなくなっているということだ。

「日本人はまだ本当に美味しいビールののどごしや味わいを知らないですね」と重富さんは言う。「美味しいビールを作るのはメーカーの仕事です。それを一番いい状態でお客様に提供するのが私や飲食店の仕事です。」そして、「一番いい状態」を作り出す条件とは、「準備と片付け」にほかならないというのだ。特にびっくりするような秘密はなくて、「準備が8割」と重富さんは断言する。中でもジョッキ洗いが美味しさを実現するための半分の比重を占めるというのだ。毎日、ビールサーバーやホースを徹底的に洗浄し、ピカピカに洗う。グラスも油が全くついていないグラス専用のスポンジでキラキラ輝くほど徹底的に洗う。洗ったグラスは拭かず、自然乾燥させる。美味しさの秘密は、重富さんのビールを注ぐこととの向き合い方にあった。

重富さんは、ビールを注ぎ始めた頃、ベテランの先輩から「ジョッキ洗いを完全に身につけるのに3年かかる」と言われたそうだ。ビールを注ぐ器であり、顧客が口をつける部分でもあり、ビールと顧客をつなぐ大切な部分がグラス。もちろんプロの重富さんが注ぐから美味しいのは間違いない。いくら彼と同じように入念な準備をしても、素人が同じレベルで美味しいビールが注げるかと聞かれたら疑問だ。けれども、注いでいる秒数や止め方、グラスの角度、スピードなど注ぎ方のテクニックそのものよりも、心がけ次第で誰でもできる準備の影響の方が大きいという重富さんの発言は知っておいていいかもしれない。

さらに美味しさを引き立てる秘訣として、注ぐ際にグラスが冷水で濡らされていることが重要だ。清潔に洗ったグラスでも、乾いていると、壁面をビールがひっかかりながら流れ落ちるので、ビールにとってストレスになる。そのストレスが味を落とす。「ビールはとても繊細な飲み物なんです。この摩擦によるストレスをなくしてやると、きれいで美味しいビールになります。ですから、注ぐ前に冷たい水をくぐらせることは重要なポイントです」と重富さんは言う。

ビールスタンド重富のメニューは5種類。ビールがのどを駆け抜けるような爽快感を味わえる「一度注ぎ」、爽快感にうま味をプラスした「二度注ぎ」、炭酸を弱め麦芽の甘みが増す泡の多い「三度注ぎ」、泡で苦みと炭酸を封じ込めてシャープな味にした「キリットタイプ」、苦みや炭酸が苦手な人向けの「マイルドタイプ」だ。三度注ぎとマイルドタイプは4分ほどかけてゆっくりと丁寧に注ぐ。

サーバーからビールがグラスに注がれると、グラスの中に小さな嵐が起こる。じっとしばらく待つ。そしてまた注ぐとまた嵐が起こる。段々と落ち着きを取り戻し、嵐は収まる。てっぺんまで注がれたビールのクリーミーな泡が上部にのぼってくる。一方、鮮やかな黄色い液体は下降していき、静かに透明度を増す。黄金に輝くグラスが差し出されると、まずはそのきれいな色に目を奪われる。冷たいグラスを持ち、顔に近づける。最初の一口からすでに笑顔が浮かび、疲れが吹き飛ぶ気分になるのは、5種類のどの注ぎ方でも同じだ。

4.想いの詰まったビールと地域とのシナジー

これだけ美味しいと5杯でも6杯でも飲みたいところだが、ビールスタンド重富では、一人1回につき2杯までしか注文できない。このたった2杯のために全国からお客さんがやって来るわけだ。しかも営業時間は17:00-19:00のわずか2時間。この2時間の「本番」のために準備と片付けに3~4時間が費やされる。見えないところで多くの時間と努力が費やされているのは、他のどの優れた飲食店とも共通する。

さらに、このビールスタンドには食べ物は一切置いていない。美味しいビールには、ついつまみがほしくなる。しかし、ここでは乾きものでさえ許されない。食べ物を出さないのは、ここで2杯飲んだ後、近所の飲食店に立ち寄って食事してほしいという重富さんの共存共栄の思想があるからだ。地元の経済を盛り上げたいという想いが自社だけの利益最優先ではなく、地域共生を重視させている。「生ビールで広島を元気にしたいんです」と重富さんは言う。美味しいビールによる地域貢献もビールスタンド重富の大きな柱なのだ。

「仕事終わりに立ち寄ってくださったお客様に、心を込めてビールを注ぐと、飲んでくださったお客様はたちまち笑顔になります。すると心の緊張がほぐれ、周囲の人に笑顔をふりまけるようになります。一杯のビールは心のゆとりを与える効果があるんです」と重富さん。美味しいビールを飲んで笑顔の人を増やすことが広島を元気にする、と彼は信じている。

一杯のビールに込めた想いや気持ちによって、ビールそのものを超える美味しいビールは可能になる。そうなると、ビールは「想いを伝える手段」とでもいえるだろうか。「心を磨く」というつもりで磨くように洗っている一つ一つの輝くグラスに、丁寧にビールを注ぐことは、効率性の真逆にある。しかし、この真逆側、つまりに「飲む人を笑顔にしたい」という願いにこそ、新幹線に乗ってまでやって来る人々を惹きつける魅力と小さな個人商店の復活の鍵があるように思える。

2016年、広島市を訪れる観光客は1,260万人を上回った。この数は日本の人口の1割に相当する。6年連続で過去最多を記録し、外国からの観光客数も5年連続で過去最多を記録している*7。注目を浴び続ける広島市。

この街へ行く際は、原爆ドームや平和記念公園はもちろん、ぜひビールスタンド重富を訪れてほしい。

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*1:キリンビール大学資料 http://www.kirin.co.jp/company/news/2017/1221_01.html

*2:国税庁「酒のしおり」、およびRobobank Roboresearch Food & Agribusiness

http://www.nta.go.jp/taxes/sake/shiori-gaikyo/shiori/2018/pdf/100.pdf

https://www.robin-appel.com/wp-content/uploads/2017/12/Rabobank.pdf

*3:南亮一、「商業統計の長期時系列データに見る業種別商店数の増減とその要因」法政大学イノベーションマネジメントセンター、2012年10月10日

https://www.hosei.ac.jp/fujimi/riim/img/img_res/WPNo.136_Minami.pdf

*4:同上、付表I

*5:同上、P2および付表I

*6:総務省統計局資料 http://www.stat.go.jp/data/nihon/02.html

*7:サンケイBiz https://j.sankeibiz.jp/article/id=1218

Thank you for reading, by Diane

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