天に向かう屏風のクリエイティビティ-2
今回は、ユニークな屏風作品を具体的に紹介する。
例えば、ファッションとして面白いのは、尼さんがほんものの袈裟を屏風にしたいと持ち込んだもの。これは実際に袈裟に一部を切り取り、実物大で屏風の表面に布素材を張り付けている。本物の袈裟を切り取っているので布の部分は厚みがある。また、着物や帯の一部を切り取って屏風に張り付けた事例も多くある。着物の柄によっては、部屋に置かれた屏風はとても華やかなスクリーンになり、屏風は単なる間仕切りではなくなる。
中には、亡くなったご主人のネクタイを屏風にしたいと希望したお客さんもいた。この屏風は、このお客さんの旦那さんが生前好んで着用していたネクタイを数本、そのまま屏風に張り付けている。部屋に設置することで常に夫の思い出に触れることができる。レイアウトを考えて、こんなふうに楽しいデザインになった。まるでアメリカのポップアートの絵画のようだ。これが日本の伝統調度品に立派に化ける。
これはホログラムを貼り付けた屏風。ある大学の先生の実験のために作ったもの。見るアングルによって色や模様が変わる。屏風の前を歩くと、いつも違うパターンが現れる。これはホログラムの素材がアクリルだったことから、技術的にも屏風で実現するのは最も苦労した作品の一つだそうだ。この大学の先生はこの屏風で何をしたかったのだろう? 理由はわからないが、壁に吊るすものではなく、床に置くことに意味があったはずだ。
屏風に張り付けられるのは、布やプラスティック素材だけではない。ガラスもあった。これは七宝焼きというガラスを高熱炉で溶かして色とりどりの絵にする日本の伝統工芸品。それを屏風にしたいという希望があったそうなのだ。上部から見るとわかるように、ガラスの部分は分厚いので、一枚の曲の厚みもかなり出てくる。ガラスのような重量感のある素材でも屏風は作れる良い事例だ。
インテリアとしては、部屋に絵画のように装飾した屏風もある。この屏風は折らずに伸ばして壁に絵のようにして使っている。折りたたむことが特徴ではあるが、こんなふうに広げて使用しても面白い。
中には屏風の素材として写真をプリントした和紙を使っているものもある。単なる写真ではなく、写真の付加価値を高める手段として大きな和紙に写真をプリントした屏風というのは、珍しい。
この事例もインテリアとしての活用だ。ガラス越しに部屋の中が見えないようにという機能的必要性からこの屏風の必要性は生まれたわけだが、せっかく置くなら、バックグラウンドの壁紙と同じ柄にしましょう、ということになった。それだけではなく、曲ごとに色や柄を部屋全体に調和するように着せ替えられる作りだ。背景の壁紙と屏風を同じ柄、またはそれにマッチする柄に仕立て、テレビスクリーンの下のガラス窓の前に置かれている。屏風の柄が背景と馴染んで、インテリアとしても美しく使われている。
なんと様々なことか! 屏風の存在が次々と新しい役割を担っていく。制作のクリエイティビティはもちろん顧客や働き手を惹きつける重要な要素だが、それを成立させている見えない本質的な部分、つまり骨組みの部分は、職人にとって実はとても重要だ。すぐに倒れては屏風の役割を果たせないし、折り畳みが不自由でもダメ。スペースの少ないところに簡単に仕舞えて、しかもしっかりと立ち続けなければならない。耐久性と美しさの両方が兼ね備わっていないと一人前の屏風とは言えない。だから、木の枠組み作りには精巧さが要求される。
そのような屏風の制作は、5工程に分かれているものもある。枠を作り、その枠の上に紙を貼り、蝶番を付け、最後に表面に出る紙を貼る。よほど無理難題でなければ、小さい作品の場合、10日間程度で仕上がるものもあるそうだ。
片岡さんはとても明るく、この仕事を心底楽しんでいるように見えた。眉間に皺を寄せた昔気質の職人とは全く異なる、朗らかな人柄だ。仕事のクリエイティビティが高いということは、無理な要求を持ってくる顧客の割合が高くなるということ。しかし、「そういう注文が来た時こそ、職人としてのやりがいを感じるんです」と片岡さんは言う。
古来から伝わる日本のすばらしい伝統を守りつつも、それを生かしながら、これまでになかった新しいものや斬新な使い方を世界に提案していくことは素敵だ。その自由な創造性となんとしてもやり遂げなければならない責任感 ― 少なくとも、片岡屏風店はその両者が見事にまじりあった下町のパッションを感じさせてくれる場所だった。