能楽師が伝授する「素人でも能を楽しめる方法」

February 8, 2017

 

およそ650年以上の歴史を持つ、日本の伝統芸能であり重要無形文化財でもある能楽。能という言葉を聞けば日本人なら、霊妙な空気が漂う能楽堂や大きな松が描かれた舞台、そして、凛とした能楽師の立ち居振る舞いくらいまでは思い浮かべることができるだろう。一方で、能楽堂に足を運び、能の精神を知り、演目を楽しめる現代人は実はほんの一握りであることも事実。今日、能の一般的なイメージは「抽象的で崇高な難解芸術」といったところかもしれない。

 

しかし、この「難解」と思われる芸術が身近に楽しめるとなるとどうだろう。能が歴史の波を生き抜いてきたのには理由がある。重要無形文化財総合保持者(人間国宝)の能楽師 坂井音重師は、その理由の一つをこう語っている。「能には『人間は絶対的な存在ではない』という日本人の深層心理があります。つまり、日本人の本質的な精神性そのものです。それを歴史が育んできたのです。」いつまでも変わらない日本人の精神そのものだから、明治維新や第二次世界大戦という伝統芸能にとって壊滅的な打撃を受けても滅ぼされることはなかったということだ。

 

能は、舞台装飾も小道具も動きも、無駄な要素をすべて削り落とした「ミニマルアート」のような舞台芸術だ。しかも言葉は文語で、ストーリーにも丁寧な説明があるわけではない。この抽象性ゆえに、誰でも簡単に「わかる」とは言えない。しかし、この独特の伝統芸能をより身近に感じるためのコツがある。

 

今回は、75年以上にわたり能楽界で第一線を歩んできた観世流シテ方の坂井音重師から、「素人でも能を楽しむ方法」と題して、より多くの方々、特にあまり能に親しみのない海外の人々にも楽しんでもらうコツを教えていただいた。

 

 これは、「葵上」という演目の1シーン。平安時代に書かれた「源氏物語」という小説をもとにしている。主人公である光源氏の正妻 葵上に、愛人の六条御息所の怨霊がとりつき、苦しめるというもの。この霊は、光源氏の愛を失った悲しみや正妻から恥をかかされたことへの恨みから、生霊となって正妻を苦しめ原因不明の病気にまで追い込む。

 

この演目で、六条御息所という人物を通して描かれた「愛を失った悲しみや嫉妬」、そして「屈辱を受けた苦しみや恨み」という感情は、男女かかわらず、また世界どこにいてもすべての人間に共通である。そうすると、能が「抽象的で崇高かつ難解」な芸術から、650年の時を超えて今ここに生きている自分にも共通する、目には見えない感情を表現したヒューマンドラマへと変貌しないだろうか? そしてあまり能を知らない自分でも共感できるメッセージを受け取れるのではないだろうか。「能は普遍的な人間の精神性を表す芸術」という前提で、具体的な楽しみ方のコツを知っておこう。

 

コツその1、簡単な「予習」をしておく

とはいっても何も知らずに演目を見ているとついていけなくなる可能性は高い。映画のような写実的な映像を見に行くときでさえ、どのようなストーリーなのか広告を見てから行くだろう。そこで、「能を楽しむ最初のコツは、あらすじやキーメッセージだけでも事前に目を通しておくことです」と坂井音重師は言う。簡単な「予習」をしておくということだ。演目の英語版あらすじは、ここから無料でダウンロードできる。

http://www.the-noh.com/index.html

 

 あらすじだけでも知っていれば、能楽堂で見た際により鮮明なメッセージを受け取ることができ、共感しやすくなるはずだ。

 

ところで、能の演目には大別して「神、男、女、狂、鬼」という5つのジャンルがある。「神」は、登場した神が平和、幸福、五穀豊穣を与えるというもの。「男」では、亡霊や死者が現れる。死後も修羅道で苦しむ武将たちが、救いを求めて現世に表れるというメッセージだ。「女」は恋愛とその苦悩がテーマとなっており、多くの場合は、女性の亡霊の恋する想いが成仏せずに漂っている、悲恋を描いている。「狂」は、思い詰めて精神が錯乱した状態、つまり狂気を描くものだ。ゆえに「狂い物」とも呼ばれる。「鬼」は、鬼、天狗、妖精など精神的な存在が現れ、派手な演出でにぎやかな舞を舞うもの。かつては、これら5つを順番に演じることが正式だった。今日では長時間となるため、正式な形では演じられないが、あらかじめこれらのジャンルを知っておくことは、能を楽しむ助けとなるだろう。

 

 神が平和をもたらしたり、もがき苦しむ人間の姿を描いたり、女性が愛に苦悩する姿や人が思い詰めて心を乱れさせる姿が描かれるのが能楽なのだ。それは、実は日本人だけではなく、人間という存在を描いていると言ってもいい。「平和、苦悩、愛」というメッセージは、人間の永遠のテーマなのだから。「能とは、人間の普遍の心理を描いたものがと知っておけば、どこまでも抑制された抽象的な動きの中に自分との共通項を見出す助けとなることでしょう。15世紀の演劇にも今の自分と同じ苦悩や願いを見つけることは、能を楽しむ大きなコツです」と坂井音重師は言う。

 

コツその2:何か一つ自分にとって素敵な要素に着目する

能楽を楽しむ二つ目のコツは、全部を理解しようとしないことだ。全部をロジカルに理解しようとすることは、百科事典を読もうとするようなことで退屈になりがちだ。そうではなくて、何か一つでもいい、素敵だと思うものを見つけてほしい。そしてそれに着目してほしい。例えば、華麗な装束や能楽師のすっと伸びた背筋、謡の響きや摺り足の動き、舞台の作りでもいい。何か一つ心がときめくものを見つけると、能が素敵になる。

 

 例えば、面や装束の中には、室町時代や江戸時代、つまり16-17世紀から大事に引き継がれてきたものもたくさんある。当時、手で織られた装束の中にちりばめられた金が21世紀のいまもまぶしい光を放っていたり、木で作られた面が舞台の上で様々な表情を描き出したりと、木や絹織物が職人に命を吹き込まれ、650年の歴史を超えて現代にまで生きているわけだ。そう思いながら能楽師が身に着けている道具を見るのは、ルーブル美術館でモナリザを鑑賞したり、システィナ礼拝堂で天井絵画を見上げるのに等しいタイムトラベルのような経験だ。そういえば、日本の室町時代は14-16世紀。ミケランジェロが活躍した時代と重なっている。

 

また、能の動きには特徴がある。縦に躍動する動きではなく、水平に摺り足で動くのです。これを「舞い」といって、いわゆる激しく踊るダンスとは異なる。欧米でも社交ダンスをする際にはこのように摺り足で動く動作があります。動きの意味や衣装は異なっても、全く違う空間で似た動きを発見するのは興味深い。

 

全体の中から何か一つにフォーカスして、その視点から能を見ると、自分流の楽しみ方ができる。鑑賞するにはそれでいいのだ。能という極小表現の中から、自分だけの素敵な要素を見つけることは、自分の創造力や自由度を広げてくれる楽しい鑑賞方法になることでだろう。「能の解釈は、想像の世界でもあります。どう解釈するかは見る側の権利なのです」と坂井音重師は語る。

 

コツその3:理解しようとせずに感じる

このポイントが現代人にとっては最も難しいかもしれない。大量の情報にさらされ、忙しい毎日を送っている人には、考えたり分析する習慣はあっても、自然に感じたり、自分の内なる声を聞くことは難しいかもしれないからだ。しかし、絵画展やコンサートに「理解しよう、考えて分析しよう」と思って行く人は少ないはずだ。優れた絵を見たり、音楽を聴いて、「美しかった」、「楽しかった」と感じるために足を運ぶ方が多いのではないだろうか。能も同じ。評価しようとせずに、理屈抜きにただ何かを感じればいいのだ。

 

 能楽というそぎ落とされた表現の中には、人間の膨大な思いや感情が込められている。能楽師は、ほんの少しの動きにその豊かな感情を表現するよう訓練されている。その見えない感情を頭で理解しようとせずに、感じようとすることが能を楽しむコツだと、坂井音重師は言う。「能の鑑賞は、脳ではなく精神を使うのです。ですから、能を見るときは、心を楽にしてリラックスして、考えずに感じてください」と。能楽堂へ行くことを、美術館やコンサートホールへ行くことと同じとらえてみてはどうだろう。演じ手と観客が言葉以外の手段でコミュニケーションする。そうすると、高かった敷居が下がらないだろうか?

 

さて、最初の問いに戻って、なぜ、能というと「難しい」印象があるのだろう? それは頭脳を使って「正しく」理解しようと思っているからかもしれない。これは現代人特有のアプローチだろう。もっと自由に心を使って永遠に続く人間の心を「感じる」方に意識を向ければ、正しい鑑賞や間違った鑑賞というものはなく、シンプルに能を楽しめるわけだ。自分なりに精神を働かせ、能の精神性を受け止めればいいのだ。

 

もしそれでも何も感じられなかった場合は、眠りに落ちるかもしれない。しかし、それは心地よさを「感じた」証拠。能の世界では、観客が眠りに落ちるのは必ずしも悪いことではないのだそうだ。それは、能楽師の演技が人間の脳に眠りを誘う良い影響を与えたため、とも解釈されるからだ。心地よくなければ眠れない。もし眠りに落ちてしまったとしたら、リラックスできたからとも言える(と、ベテラン能楽師は述べている。)

 

「感じる心というのは気持ちのゆとりや人間教育とも関係します。例えば、日本は戦後、経済に重きを置いて知識だけに注力してしまいました。その結果、芸術や心の教育を軽んじてきました。そんな中で、『感じる心』を、能を通して育んでいただければ、日本はきっともっと豊かな国になると思います」と坂井音重師は言う。経済に重きを置き過ぎたのは、おそらく日本だけではないだろう。知識偏重型教育の洗礼を受けた方々は、ぜひ能楽で「感じる」経験をしてみてほしい。

 

次回機会がある際には、あるいは、皆さんの暮らす街で能楽の公演がある場合には、ぜひ足を運んで実際に見てみてほしい。今日ご紹介した3つのポイントを押さえれば、「難解」と思われた能を「楽しめる芸術」として鑑賞することができるのではないだろうか。

 

写真撮影:鈴木香那枝

写真提供:白翔會

 

 

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