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本物の宇治抹茶は“畑のフォアグラ”


抹茶は今や海外でも意識の高い人々に愛飲されている。スターバックスの「グリーンティーラテ(抹茶ラテ)」は世界中で人気だし、ハリウッド映画の中でも抹茶そのものを飲むシーンが登場するようになった。「Begin Again(邦題:はじまりのうた)」(2014)では、主要登場人物の一人デイビッドが、ニューヨークのスタジオで“That’s maccha tea. Gotta like 4 million antioxidants in it. I like it. Samurai used to drink it before they went out to battle.”と言って、コーヒーの代わりに抹茶を抹茶用のお椀で飲む。パリでも日本のお茶屋さんが進出に成功し、紅茶文化のロンドンでさえも抹茶は人気だ。今日、アジアではもちろん、世界的に抹茶そのものの認知は確立されたといえるだろう。むしろ、その味や品質について吟味される時代に突入したといえる。

一方、抹茶にも高品質なものから下級品まであり、抹茶と呼ばれていても抹茶とはいいがたい代物も多く出回っている。日本茶葉100%の純粋な抹茶はどこででも手に入るわけではない。ましてや、その茶葉が特別な土地で栽培され、その栽培方法も手間暇かけた特殊なプロセスであった場合、年間生産量は限られ、めったに味わえるものではない希少な商品になる。

そのような特殊で貴重な抹茶を生産しているのが京都の宇治市だ。宇治といえば、日本人なら誰でも「お茶の産地」ということは知っている。しかし、茶畑には、煎茶と玉露と碾茶の3種類があるということはあまり知られていない。また、抹茶が碾茶と呼ばれる茶葉から作られることも日本人はあまり知らない。抹茶は碾茶を丁寧に加工し、粉砕したパウダーだ。高品質の抹茶は当然緑の色も鮮やかで、いかにも生きた葉っぱのような色をしている。

宇治で茶農家を営む辻喜代治さんは、宇治でも最高品質の碾茶を生産している茶葉づくりの匠だ。明治時代に先祖がこの土地に移り住んで以来、茶葉づくりを続けており、辻さんは5代目にあたる。様々な創意工夫と努力が評価され、2016年、全国茶品評会 碾茶の部で第一位の農林水産大臣賞を受賞した。辻さんの育てた碾茶が日本一の品質であることが認められたわけだ。

では、何が辻さんの茶葉を最高級にしているのか? よい茶葉づくりは、天候と土づくりに大きく影響される。不可抗力の部分も多いが、辻さんの土づくりや栽培方法は、サイエンスといえるほど実験と挑戦の連続である。データを取りそれに基づき予測を立て、最後は経験で得た観を働かせて気象条件に対応していく。

「就農27年になりますが、毎年1年生です。なぜなら毎年、気象状況は違うからです」と辻さんは言う。「遠隔地からもお茶栽培を教えてほしいという方が来られるんですが、実のところお教えできないんです。毎年やることが変わりますし、私の方法でやってみても土壌が変わると通用しないからです。答えはないんですよ」と。

辻さんのお茶を最高級品にしている要素は数多くあるが、まずはすべての新芽を手で摘んでいる点だ。手摘みは機械刈りと比べて効率は悪い。しかし、辻さんが手摘みにこだわるのには理由がある。機械で刈ると切断面が刃物で切ったように広がり、酸化が激しくなる。手摘みだと丁寧に摘むため断面積は少なく、その分酸化を促進しない。抗酸化効果が高いといわれる緑茶は、酸化を止めてこそ緑茶。だからあくまで手摘みにこだわる。もう一つの理由は、含有栄養分だ。機械で刈ると新芽以外の葉の部分も収穫時に混じってしまうが、手摘みであれば一切新芽以外の物を混じらせない。すると茶葉になったとき、純粋な栄養分の濃度が保たれるのだ。

さらに、辻さんの農園では主に菜種油の有機肥料をタイミングよく使う。菜種油は土に接すると酸性度を上げ、アンモニアを大量に発生させる。お茶はアンモニアを吸収するとおいしくなる。このメカニズムはここ10年でやっと解明されたのだが、実は100年以上前から宇治茶の肥料はいつも菜種油だった。「お茶は『畑のフォアグラ』といえるでしょう。肥料を与えれば与えるほど吸収するんです。どんどん食べさせては胃薬を飲ませるという連続です。木としては耐えがたい苦痛ですが、それがうま味に変わります。肥料を吸えば吸うほどお茶の味はよくなるんです」と辻さんは言う。まろやかなお茶を作るためには、渋みの成分であるカテキンを抑制する必要がある。カテキンは、お茶の中にあるアミノ酸が日光に当たることで発生する。「宇治茶は雑味や渋みがないまろやかな味が特徴ですから、どんどん菜種油を肥料として与え、遮光して栽培します」と。

宇治のお茶農家では遮光は通常80%程度だ。しかし、辻さんの農園では、他の農家の2倍の肥料を与え、95%の遮光を行う。遮光は味や栄養分の濃度を高めるための育成抑制でもあるので、おのずと収穫量は減る。だから収穫量は、一般的なお茶農家の6割くらいにまで減る。この「多肥高遮光」という方法は「究極のお茶」を作るための辻さん独自の方法なのだが、一つ間違えると大損害をもたらしてしまう。

探求心と野心に満ちた就農3年目の当時、辻さんはおいしいお茶を作りたくて多肥高遮光をぎりぎりまで試してみた。ところが、限界を超えてしまい、10aすべての木を枯らしてしまった。新芽は幸いにも収穫できたが、おおもとの木をすべて枯らしてしまったのだ。お茶は木を植えてから5年目でやっと新芽が取れる。5年間その10aからは何も収穫できなかった。

「しかし、枯らしてしまったおかげで限界が分かったんです。若いころにこの痛い経験をさせてもらったことがとてもよかったんです」と辻さんは言う。

木がフォアグラみたいに栄養を詰め込まれて疲れて、生き残れるぎりぎりのところまで追いつめて、「もう枯れる」という直前に摘んだ新芽が究極の碾茶となる。それが今年日本一になった作品だった。

宇治川という大きな河川が近くに流れていることも最高のお茶づくりの理に適っている。収穫は5月なので、収穫前の春先の霜害が一番危険だ。しかし、宇治川があることで気流が発生し霜が降りない自然の仕組みになっているのだ。川に助けられて霜を避けることができる。宇治の自然条件はお茶づくりに最適で、この土地をお茶作りに選んだ先祖は、データなど一切なくても「ここだ!」ということを知っていた。その先人の知恵に辻さんは深い尊敬と感謝の念を抱いている。

農作物において土壌は気象と同じくらい重要だ。高級なお茶づくりにおいて不可欠なのは強酸性の土壌と水はけなのだ。同じ宇治の中でも一定の範囲だけが土壌の作用によって特別な味のお茶を生み出す。まるでワインのようだ。ブルゴーニュ中でピノ・ノワールは生産され醸造されているけれど、ロマネ・コンティの畑だけが何十倍(何百倍?)もの値段がつくのと同じだ。あの畑の一角だけは、土壌に含まれるミネラルや水はけがブルゴーニュの他のどの畑とも違っているらしい。辻さんの農園に、ロマネ・コンティに相当する特別の一角がある。土壌に含まれている要素がほかの土地とは異なっており、そこから収穫されたお茶は、究極の中でも究極なのだそうだ。

その畑を案内してもらった時、「同じお茶の木の葉の色が朝と夕方では違うのをご存知ですか?」と辻さんは尋ねた。私は知るはずもない。「お茶作りは自然との対話でもあるので、整肥設計はできないんです。朝の色で肥料が効いたかどうかがわかります。夕方の色で、管理がこれでいいのかどうかを見極めます」と辻さんは言う。

毎日朝夕、葉っぱの色をチェックし、365日間おいしいお茶をどう作ろうかとひたすら考えているという。この没頭と献身が日々辻さんを前へ押し出している。宇治というお茶作りの条件が揃った土地でお茶農家に生まれ、小さいころからお茶に親しんできた。子供のころからお茶職人になると決めていた辻さん。

「お茶作りは私の天職だと思っています。国内だけでなく海外でも本物がわかる方に私のお茶が認められた時は本当にうれしいですし、消費者の方々がおいしいと言ってくれるお茶を作ること、それが私の使命だと思っています」と言う。

現在、日本では農業を子供に継がせたくないという親世代は多く、それゆえ日本の農業は、超高齢化と後継者不足で衰退の一途をたどっている。辻さんは、「親が農業の面白さを子供に伝えれば、後継者は成り立ちます。こうすればビジネスになるということを親が率先して子供に伝えれば、農家は育つんです」と信じている。

茶葉の摘採期は1年に1回、5月だけ。この1か月のために辻さんは毎年熱い11か月を費やしている。

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