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今でもさぬきうどんに倢䞭


病気の時や䜓が匱っおいるずき、私は迷わずうどんを食べる。病人食ずいえば胃にやさしいおかゆが垞なのだが、私は断然うどんだ。なぜかずいうず、私は「うどん県」ずもいわれる銙川県の出身だから。高校を卒業するたでほが毎日うどんを平均2-3回食べおいた。こういうず、芪しい友人でも驚く。しかし、これはなにも私だけの話ではない。朝食はうどん、お昌ご飯も孊食でうどん、郚掻が終わっお家に垰る前におや぀間食ずしお食べるのもうどん、ずいう食生掻は圓時めずらしくはなく、孊校垰りのうどんは、圓時1杯80円くらいで、アむスクリヌムやホットドッグを買うような感芚だった。

その銙川県は数幎前、県名を「うどん県」に倉えるずいうPR戊略で話題をさらった。2006幎には、「うどん」ずいう映画たで䜜られた。そのくらい、銙川のうどんは日本では有名。ただし、うどんは銙川の昔の名称「さぬき」をずっお、讃岐うどんず呌ばれる。そしお讃岐うどんは、銙川県ではカフェ喫茶店でも定番メニュヌずしお提䟛される。

銙川県の幎間うどん生産量は6䞇トンで党囜第䞀䜍。第二䜍の埌玉県の2.5䞇トンを倧きく匕き離しおいる1。消費額も幎間12,600円で、党囜平均6000円の玄2倍ずなっおいる2。人口10䞇人圓たりのうどん店舗数も65店舗ず、第二䜍埌玉県の26店舗を倧きく開けおいる3。

銙川は小さな県で、人口から蚀うず、東京の10分の1以䞋。なぜ、ここでこんな小さな県でこれほど倧量のうどん消費が生たれ、うどん奜き文化が培われたのか? 䞀説には、干ば぀が貢献したずいう。銙川県のもう䞀぀の特城は降氎量が少ないずいう点だ。こちらは47幎䞭42䜍。党囜平均より500㎜くらい少ない4。降雚量の少なさから、裏䜜の小麊をいかにおいしく食べるかが工倫されたずいう。そうしお良質な小麊がたくさん生産されるようになり、手打ちの技術の発展もあり、讃岐うどんが䞀般化したずいわれおいる。

讃岐うどんの特城は、麺のコシだ。䌝統的に、うどんの生地を足で䜕床も䜕床も螏み぀けお䜜っおいく。最近では機械がこの足螏みを代わりに行っおいるが、螏めば螏むほど小麊粉の粘床が䞊がり、讃岐うどんのコシを匷くしおいく。麺を広げお切る時たでも、綿棒で䜕床も畳みかけるように䌞ばし、倪く切っおいく。だから讃岐うどんは倪くお、堅いのだ。ゆで方もアルデンテが垞道。食べ方もゆでたおのうどんを冷氎できれいに掗い、぀や぀やした極倪の麺に生醀油をかけおそのたた食べるのが正統掟。倩ぷらくらいたでは茉せおもいいが、最近では䜙蚈な具材をたくさん茉せるようになり、正統掟に揺さぶりをかけおいる。

うどんを党囜的なブヌムにしたのは、少し前に展開された「うどん88か所」がきっかけだった。1990幎代埌半から四囜のお遍路さんを掛け合わせた「うどん88か所」ずいううどん屋巡りが流行し、県倖からも倚くの人がうどんを食べるために銙川県に抌し掛けた。

讃岐うどんそのものの特城はコシだが、店や食べ方にも特城がある。たずは「セルフ」ずいうスタむル。本来の讃岐うどんはほずんどがセルフスタむルだった。自分で噚に麺を取り、お湯でさばき、奜きな具をのせお、出汁をかけおレゞで粟算するずいうスタむルだ。ほずんどうどん屋が家族経営だったので、少人数で店を回しおいる。高校時代にうどんが安かったのもセルフのおかげだったのかもしれない。県倖から来た人が驚くのは、麺を自分で熱い湯に入れおほぐすこずだ。熱い湯を少し自分の噚にもたらし、枩める。

そしおしっかりお湯を切っお麺を噚に流しいれる。そこに具をのせお、最埌に出汁をかける。このセルフのスタむルが嵩じるず、䞊に乗せるネギたで裏庭に自分で取りに行っお、自分でたな板の䞊で切っお茉せお、出汁をかけるずいう遠回りのルヌトになる。店からいったん倖に出るのだ。店䞻が高霢者だずこの傟向は匷かった。ネギをのせるずころたできお、倧きな噚の䞭を芋るずもう残りがない。「おばちゃん、ネギがないよ」ずいうず、「自分で裏の畑からずっおきお」ず蚀われたものだ。これは銙川では、普通ずたでは蚀わないたでもの特に驚かないスタむルだった。今でも山奥や田舎の店に行くずこの慣習は残っおいるらしい。

銙川県人の゜りルフヌドであるうどん屋の味はもちろんレベルが高い。少額でも開店資金になるため、次々に開店するが、甘い気持ちで営業しおいるずすぐに淘汰される。閉店に远い蟌たれるリスクも高いのだ。しかも最近ではうどんの競合はうどんだけではなくなった。カレヌや寿叞のチェヌン店も数倚く進出しおおり、うどん以倖のものに流れる傟向も匷たっおきおいる。しかし、銙川県人のうどんの味の識別力は以䞊に高いため、特にうどんには厳しい。麺打ちや出汁の仕蟌みで少しでも手を抜くずすぐにダメ出しされ、嫌われる。昔からあるうどん屋の味は定着しおいるので、だいたい店の特城がわかる。䞀方、新しいうどん屋ができたず聞いたらすぐに誰かが行っお、どうだったかを友達に䌝える。この䌝わり方の早いこずず蚀ったら、゜ヌシャルメディアの比ではないのだ。

うどんブヌムに乗っお「うどん埡殿」が建ったうどん屋もあれば、党囜チェヌン展開するたでになったうどん屋もある。芳光客だけをタヌゲットにした有名店もある。しかし、うどん歎玄半䞖玀の私にいわせれば、裏通りのわかりづらい堎所に䜍眮する小汚い昔ながらの個人経営のうどん屋に勝るものはない。

私は決しおグルメではない。おいしいものは奜きだが、普段東京で暮らしおいるずきに莅沢はほずんどしない。東京は、ほが䜕でも食べられる玠晎らしい食文化郜垂だ。今や讃岐うどん店ず称する店も増えおきた。でも東京ではうどんは食べない。か぀お1杯80円で食べられたおや぀感芚のあのうどんず同じ味は、ただ東京にはないからだ。

そんな私は、数カ月に䞀回、母が送っおきおくれる本物の讃岐うどんを冷凍しおおき、䜓調䞍良の時やほしくなった時にだけ茹でお生醀油をかけお、倧事に食べるのだ。ブヌムよりもはるか前からうどんで育った人間には、そのくらい讃岐うどんは特別な食べ物で、決しお劥協できない。銙川には歎史的にも文化的にも芳光資源はたくさんあるが、銙川県人を虜にし続けおいるこの讃岐うどんを食べるだけのために蚪れおも決しお倱望はしないだろう。

*1 http://todo-ran.com/t/kiji/11819

*2 http://todo-ran.com/t/tdfk/kagawa

*3 http://www.stat.go.jp/data/kakei/5.htm

*4 http://grading.jpn.org/SRB02402.html

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